書く、走る。

【父との思い出】マラソンがつなぐ絆


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今週のお題「お父さん」

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明日は父の日ですね。
だから今日は実家の父との思い出について書こうと思います。

今はコロナで里帰りできないけれど
いつまでも元気でいてね、お父さん。

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わたしは厳格な母とユーモアの塊のような父の間に生まれ、
真面目でお調子者な子どもに育った。
天真爛漫さ故に末っ子と間違えられるけど、
本来の私は3姉妹の長女でしっかりしているはずだ。

父は子煩悩だった。
しかし娘ばかり生まれて、
野球に青春を注いだ父の「子どもとキャッチボールする夢」は途絶えた。


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実家の地域では、小学3年生から地区の駅伝大会の選手に選ばれる。
私の地域は人員不足で、1つ上の4年生の部を走ることになった。


「やだな~、抜かれるわ~」


それほど足が速くなかったため、そう思っていたら父のスイッチがONになった。

「よし、明日から練習だ!」


その日から父と一緒にランニングをする日々が始まった。

夕方になると父と走る。
そういえば、仕事とかどうしていたんだろう。


この年のクリスマスプレゼントはランニングシューズと赤いジャージだった。
子どもながらに、サンタさんがいないことを察した。


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スパルタと化した父は毎度ストップウォッチでタイムを計りながら、
長い坂道をダッシュさせた。
鬼か。


中学陸上部の練習会にも参加した。
今考えるとなんでそこまで。


大人になり走ってわかったが、5kmぐらいまでだと小学生は身軽で速い。
よく父も私についてこれたと思う。
多分、父も負けまいと必死だったに違いない。



おかげで駅伝大会では1つ上の学年で2人抜くことができた。
父と地元のマラソン大会にも出場し、新聞にも載った。


練習しすぎたせいでマラソンに疲れたので、中学からは別のスポーツを始めた。


いつのまにか父もマラソンを辞め、次女と別のスポーツを始めた。
ぜんぜん懲りてない。
そして父も飽きっぽいのだ。




私は陸上部に入ることはなかったけど、大学生~社会人になってもストレスが溜まったりスッキリしたい日はランニングをした。
本当は走るのが好きだったんだ。

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次男を出産して、また走ることを始めた。
今度は飽きることなく続いている。

もうあの頃の父の年齢も抜いてしまった。


父はあれ以来走っていないけれど、
実家に帰る度に10kmのタイムを聴いてきて、自分のベストタイムと張り合う。
そういうところはやめてほしい。



今、私は息子たちとジョギングを楽しんでいる。


父はじぃじとなり、男の子ばかりの孫にグローブとボールを与え、帰省の度にキャッチボールをして遊んでくれている。



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